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曹洞宗貫秀寺 即身仏 弘智法印 宥貞

曹洞宗貫秀寺


「即身仏 弘智法印 宥貞」拝観中止のお知らせ



 「即身仏 弘智法印 宥貞」につきましては、調査・研究及び展覧会展示のため、令和元年6月17日(月)より当分の間、拝観を中止いたします。
 今後の予定としましては、国立科学博物館での調査・研究の後、同博物館において、令和元年11月2日(土)より開催される『特別展 ミイラ〜「永遠の命」を求めて』での展示が予定されております。展示される期間は調査・研究の結果により、決定されますので、令和元年6月17日現在では未定となっております。
 拝観をご希望の皆様には、大変ご迷惑をおかけいたしますが、どうぞ、事情ご賢察のうえご了承願います。
 拝観が再開されましたら、改めてホームページ上でお知らせいたします。


拝観中止期間  令和元年6月17日(月)から当分の間(再開時期未定)


○展示予定情報

『特別展 ミイラ〜「永遠の命」を求めて MUMMIES OF THE WORLD』
会期:2019年11月2日(土)〜2020年2月24日(月・休)
会場:国立科学博物館(東京都・上野公園内)
主催:国立博物館・TBS・日本経済新聞社
お問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
※展示会に関するお問い合わせは、直接、主催者にお願いします。




即身仏 弘智法印 宥貞の歴史

 弘智法印 宥貞は、1591年天正19年に出雲国、現在の島根県に生まれ、幼名を貞作と言いました。幼い頃より仏教に惹かれ、元服すると出家して仏道へ進みたいと両親に懇願します。その意志は、反対を押し切るために断食をするほど強いものでした。
 1614年慶長19年、23歳で讃岐国、現在の香川県の松尾寺の住職宥昌和尚ものとで出家し、宥貞と改名。仏門修行に励みますが、27歳の時、師匠である宥昌和尚が亡くなると、ひとり諸国行脚へと旅立ちます。陸奥国を巡って、出羽三山のひとつ、湯殿山に立ち寄った際には、衆生救済のための捨身成仏の風習に触れ、生涯にわたり強い影響を受けたと考えられています。
 その後、高野山金剛三昧院にて真言密教を修学して小僧都となり、さらに江戸深川の永代寺の住職となります。1683年寛永15年に再び旅に出て、磐城の国、現在の福島県いわき市に入り、赤井岳常福寺の住職、棚倉町観音寺の住職を経て大草堀川の観音堂に移り住みます。その23年後、最後の信仰の地となった浅川町で小貫東永山観音寺の住職となり、村人のために加持祈祷を行う日々を過ごしますが、この時期、悪病が流行して多くの村人が苦しんでおりました。そこで、宥貞は、1683年天和3年12月8日、弟子の宥林に寺を継がせ、村人を集めて薬師如来十二大願の説法を行った後、自らを悟り入定。

 

「我将に三七、二十一日に入滅するなり」と告げ、こう言い残しました。
「我身を留めて薬師如来たらん」

 

 この言葉を残し1683年、天和3年12月23日に92年の生涯を閉じたと伝えられています。人々の尊敬と信望を集めた宥貞は、現在は即身仏としてこの貫秀寺薬師堂に鎮座しています。全国に即身仏は現在20数体ありますが、弘智法印 宥貞のように疫病治癒祈願という人々のために薬師入定した例は、国内では類がないと言われています。また、福島県では唯一の即身仏となっており、それに付随する入定石棺、木棺及び宥貞法印行状記は、浅川町指定文化財に指定されています。


即身仏弘智法印宥貞パンフレット1 即身仏弘智法印宥貞パンフレット2


曹洞宗貫秀寺  曹洞宗貫秀寺

貫秀寺へのご案内

曹洞宗金久山 貫秀寺
小貫即身仏保存会(連絡先:貫秀寺薬師堂入口に表示)
◎住  所 : 〒963-6207 福島県石川郡浅川町大字小貫字宿ノ内63
◎交  通 : 浅川町役場から県道277号(社田浅川線)白河方面へ車で約5分
        JR水郡線磐城浅川駅から県道277号(社田浅川線)
        白河方面へ車で約8分
◎拝 観 料 : 大人300円 中高生200円 小学生100円

◎問い合わせ : 浅川町役場 農政商工課 TEL:0247-36-1183
         ※拝観される場合には、必ず事前にご連絡ください。