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観光・イベント

曹洞宗貫秀寺 即身仏 弘智法印 宥貞

【 お知らせ 】
「即身仏 弘智法印 宥貞」の拝観再開について


 「即身仏 弘智法印 宥貞」につきましては、令和元年より『特別展 ミイラ ~「永遠の命」を求めて』での展示のため、東京会場の国立科学博物館を皮切りに全国各地を巡回しておりましたが、無事に巡回を終え、浅川町にお戻りになりました。
 当町での拝観をご希望の皆様には、大変長らくお待たせしておりましたが、この度、拝観を再開することとなりました。
 福島県では唯一の、全国でも非常に珍しい即身仏ですので、ぜひ多くの方にご覧いただきたく、皆様のおいでをお待ちしております。
 拝観を希望される方は、事前に下記の問い合わせ先までご連絡をお願いします。



○管理者:小貫即身仏保存会(連絡先:薬師堂扉に表示)

○場所 :曹洞宗金久山 貫秀寺 薬師堂

○住所 :〒963-6207 福島県石川郡浅川町大字小貫字宿ノ内63

○交通 :浅川町役場から県道277号(社田浅川線)を白河方面へ車で約5分 / JR水郡線磐城浅川駅から県道277号(社田浅川線)を白河方面へ車で約8分

○拝観料:大人300円、中高生200円、小学生100円

○問い合わせ
浅川町役場 企画商工課 電話:0247-36-2815
※拝観される場合は、必ず事前にご連絡ください。




即身仏 弘智法印 宥貞の歴史

 弘智法印 宥貞は、1591年天正19年に出雲国、現在の島根県に生まれ、幼名を貞作と言いました。幼い頃より仏教に惹かれ、元服すると出家して仏道へ進みたいと両親に懇願します。その意志は、反対を押し切るために断食をするほど強いものでした。
 1614年慶長19年、23歳で讃岐国、現在の香川県の松尾寺の住職宥昌和尚ものとで出家し、宥貞と改名。仏門修行に励みますが、27歳の時、師匠である宥昌和尚が亡くなると、ひとり諸国行脚へと旅立ちます。陸奥国を巡って、出羽三山のひとつ、湯殿山に立ち寄った際には、衆生救済のための捨身成仏の風習に触れ、生涯にわたり強い影響を受けたと考えられています。
 その後、高野山金剛三昧院にて真言密教を修学して小僧都となり、さらに江戸深川の永代寺の住職となります。1683年寛永15年に再び旅に出て、磐城の国、現在の福島県いわき市に入り、赤井岳常福寺の住職、棚倉町観音寺の住職を経て大草堀川の観音堂に移り住みます。その23年後、最後の信仰の地となった浅川町で小貫東永山観音寺の住職となり、村人のために加持祈祷を行う日々を過ごしますが、この時期、悪病が流行して多くの村人が苦しんでおりました。そこで、宥貞は、1683年天和3年12月8日、弟子の宥林に寺を継がせ、村人を集めて薬師如来十二大願の説法を行った後、自らを悟り入定。

「我将に三七、二十一日に入滅するなり」と告げ、こう言い残しました。
「我身を留めて薬師如来たらん」

 この言葉を残し1683年、天和3年12月23日に92年の生涯を閉じたと伝えられています。人々の尊敬と信望を集めた宥貞は、現在は即身仏としてこの貫秀寺薬師堂に鎮座しています。全国に即身仏は現在20数体ありますが、弘智法印 宥貞のように疫病治癒祈願という人々のために薬師入定した例は、国内では類がないと言われています。また、福島県では唯一の即身仏となっており、それに付随する入定石棺、木棺及び宥貞法印行状記は、浅川町指定文化財に指定されています。



曹洞宗貫秀寺  曹洞宗貫秀寺

貫秀寺へのご案内

曹洞宗金久山 貫秀寺
小貫即身仏保存会(連絡先:貫秀寺薬師堂入口に表示)
◎住 所 : 〒963-6207 福島県石川郡浅川町大字小貫字宿ノ内63
◎交 通 : 浅川町役場から県道277号(社田浅川線)白河方面へ車で約5分
       JR水郡線磐城浅川駅から県道277号(社田浅川線)
       白河方面へ車で約8分
◎拝 観 料 : 大人300円 中高生200円 小学生100円

◎問い合わせ : 浅川町役場 企画商工課 TEL:0247-36-2815
         ※拝観される場合には、必ず事前にご連絡ください。

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