伝統の歴史

歴史と伝統を誇る浅川の花火

浅川の花火は、お盆の伝統行事として永く地域の人々に親しまれてきました。花火の起源は、浅川城落城の戦死者弔い説、仙台伊達藩に対する軍事デモ説、など諸説が伝えられています。なかでも江戸後期、寛政10年に起こった農民一揆「浅川騒動」の犠牲者供養説が残された諸文献等からも有力視されており、江戸時代から続く伝統の花火大会として、町の無形文化財に指定されています。

伝統の花火「大からくり」と「大地雷火」

毎年お盆の8月16日に開催される浅川の花火当日には、一揆首謀者が処刑されたと伝わる河川敷の「弘法山」公園で戊辰戦争をはじめ日清、日露戦争及び太平洋戦争での戦没者を供養するため神仏混交での慰霊祭が粛々と執り行われます。 現在、この慰霊行事を含めた花火大会は、町の市街地を二分する各行政区に存在する本町、荒町の両町青年会の若者がその伝統を継承しています。かつて青年会への加入資格には厳しい条件があり「浅川両町に居住する本家の長男」あるいは「浅川両町に三代居住する家の長男」でなければ加入が認められず、浅川の花火にまとう両町青年会の法被は、町の若者たちの憧れであり、法被をまとう青年会諸君はその名誉と誇りを背負い花火大会に臨みました。

「浅川の花火を象徴する尺玉」
「両町青年会」
「大からくり」

「浅川の花火」主催の青年会、その象徴と言えるものが「大からくり」です。

太い丸太を組み合わせ青竹を結びつけて製作する「大からくり」には絵柄や文字を浮き出させる仕掛け、飛び散る七色の閃光、爆裂音を響かせるさまざまな仕掛けが組み込まれています。

かつては本町と荒町それぞれ二基の「大からくり」を制作し、当日までお互いの仕掛け内容を明かさずにその工夫を凝らした技を競い合っていました。

現在は2つの青年会が協力し合い一基の製作となっています。

「大からくり」は全長15メートル、重さは約300kg以上あり、青年会と消防団あわせて40名ほどで花火打ち上げ現場までの約2kmを見守る観衆の声援を受けながら勇壮に町内を練り歩きます。現場に搬送された「大からくり」は花火観覧席の正面に立ち上げられ、点火された「大からくり」からは全長200m名物「浅川の滝」大仕掛けへと連続点火され会場は一気に盛り上がりを見せます。「大からくり」は青年会の団結と誇りの証であり、浅川の花火シンボル的な伝統の仕掛け花火として現在もその形を変えずに引き継がれています。

「浅川の滝」
「スターマイン」

また、浅川の花火にはもう一つ名物の「大地雷火」があります。

町を見下ろす300mほどの城山公園の山頂で、花火が扇を広げたように炸裂するこの花火は、まさに山が噴火したかのような大迫力でこの山を包み込み、浅川の花火のクライマックスを飾ります。

花火は夏の風物詩として観光の側面を多く有していますが、浅川の花火は「供養の花火」であり、太平洋戦争の末期において物資が乏しく火薬が不足していた状況であっても「慰霊の花火」として打ち上げを特別に許可され存続してきた歴史があります。 今後も町指定無形文化財としての「浅川の花火」を実施主体である両町青年会、町行政、町商工会及び花火後援会が一体となってその伝統の発展に努めてまいります。

「地雷火」
「地雷火」