あさかわ花火物語

弘法の紅花(こうぼうのべにばな)2/3

隣の白河では、野にも山にも食料がなくなってか、野犬の群れが人々を襲っていた。その野犬の群れは、この浅川でもたびたび目撃され、人々は恐怖に慄(おのの)いていた。そんな矢先、百姓たちの間で、一揆の話が持ち上がっていた。百姓たちは野犬狩りを名目に鉄砲の貸し出しを申し出る者、大鉈(おおなた)や竹槍を備える者もいた。しかし、これらはすべて、野犬の事件を隠れ箕にした一揆の準備であり、この反乱の機運は日に日に現実を帯びてきたのである。

年が開け翌年の正月二十二日の夜、すべての村々に「火の用心」と書かれた落文(おとしぶみ)が配られた。

「いよいよ来るべき時がきた、来る二十四日夜、すべての家で必ず一人を出して社八幡神社へ集まっていただきたい。鎌、斧を持参の上で覚悟を決めて参ってほしい。もし誰も出ない家があれば、その家には必ず火を放つことになる、皆心得て対処してほしい。」

半十郎は、手に取った大鉈を見つめて考えていた。

「こうして百姓が苦しめられているのも庄屋のせいだ。何人もの赤子や年寄りが死んだんだ。やつらは、おらたちと同じように苦しまなくちゃならねえ。天罰が下っても当たり前のことだ。」
百姓たちは皆、常軌を逸していた。自ら手に掛けた赤子の泣き声が耳から離れない。年老いた親のその干乾びた顔が瞼に焼きついたままなのだ。悲しい時代であった、自然現象による飢饉、その僅かな天の恵みに背かれ、日々を生きる糧すら奪われてしまう現実、支配層からの抑圧とこの地で生きる運命を与えられた先祖からの呪縛。彼ら百姓たちは、明日よりも今日を、そして今日よりも今を生き続けてきたのである。

いよいよ約束の時が訪れた。半十郎は大鉈の土を落としその刃に砥石をいれた。竹を切るのでもなく、薪(まき)を割るのでもない、その刃はいったいどこに向けられるのか。自然の恩恵を受け、土を耕し穀物を育て家畜を飼い自らを自らの力で生き抜いてきた農民たち、この大切な農具を怒りと苦しみに充ちた血の刃に変えることになる。

女房は半十郎にすがって言った。

「一揆の先頭にだけはたたないでおくれ。」

無論、一揆騒動を起した者は打ち首、獄門の刑に決まっている。ただ、すべての百姓が一揆に加わった、すべての百姓を獄門にはできない、せめて無事に帰ってきてほしい。女房の思いはただそのひとつだけであった。

二十四日の未明、近くの社八幡神社にはすでに多くの百姓たちが集結していた。いくつもの火が焚かれ、鬨(とき)の声を上げる者、震える斧を持つ手に縄を縛る者、この震える寒さの中、自らを鼓舞し上半身を露(あらわ)にする者もいた。もう彼らは百姓の集団ではなく、戦国の世に決戦を前にした野武士のようであった。

半十郎もこの百姓たちの異様な集団の中にいた。鉈を持つ手の震えが止まらない、生まれてこの方、土を耕すこと、穀物を育てること以外に成してきたことは何もない。これから起こそうとする己の行動が自分ですら理解ができなかった。


辺りで最も大きな豪農である大庄屋が襲撃され、騒動の火蓋が切っておとされた。百姓達は門戸を打ち破り、泥だらけの草鞋(わらじ)のまま屋敷の中を踏み荒らしていった。米蔵は打ち壊され、備蓄米が持ち出される、襖は蹴り破られ家財はなぎ倒された。酒がめに首をつっこみ浴びるように酒を煽(あお)る者もいた。

今までの恨みや抑圧への鬱憤が、集団心理の中で解き放たれ、彼らは良心も秩序も失い、獲物を求め人間をも襲っていた野犬の群れと同様に暴徒化し、一つの群れが別の群れを吸収しさらに大きな群れを成していった。

百姓たちもこの事件の重大性は理解している。自らの命を失う覚悟も、命を賭けた最初で最後の謀反(むほん)であることも。ならば、自分達を苦しめてきた者どもはすべて道連れである。庄屋や駒付役(こまつけやく)、庄屋郷士(しょうやごうし)などの村役人は、次々に狂気の刃に掛けられていった。

半十郎も無我夢中で鉈を振り回し、辺りかまわず切りつけていた。半十郎の姿には危機迫るものがあった、獣(けもの)が窮地に追い詰められ、なりふりかまわず暴れだしたように襖や障子がバリバリと大きな音をたてて打ち破られていく、しかし、半十郎の鉈には、血のりはない。庄屋の屋敷で二つ目の部屋を打ち壊し、次の仏間を開けたその時、あの忌々(いまいま)しい庄屋の姿がそこにあった。赤子を殺める前日に命乞いに行ったあの庄屋である。たった米一俵のために地に額をこすり付け減免を願いでたものの話半ばに蹴りつけられた左頬の傷は、心の傷同様にまだ癒えてはいない。

半十郎は庄屋めがけて右手の鉈を大きく振り上げた、庄屋は腰を抜かし眼を見開き声も出せぬまま行き場を失った。まさにその時、庄屋の背にある仏壇の扉の奥に自らが手にかけた赤子の顔を見た、確かに、しかもはっきりとあの時と同じ寝顔である。

半十郎は躊躇(ちゅうちょ)した、我が子を殺めた己と今まさに人を殺めようとしている己がいる、いったいこの狂気の沙汰にどんな違いがあるものなのか。

半十郎はこの張り裂けんばかりの胸の痛みに耐え切れず、仏壇の花を握り潰し、その懐(ふところ)に深く押し込んだ。

半十郎の動きが止まっていたその瞬間、半十郎の脇腹をえぐる様に背後から竹槍が庄屋の体を突き抜けた。半十郎はその返り血を浴び目を見開くことができなかった。

馬屋の佐吉だった。この佐吉も庄屋たちに苦しめられてきた百姓の一人であった。

佐吉は、僅かな畑の耕作と馬を種付け生産し、手塩にかけた馬を藩へ献上する仕事を生業(なりわい)としていたので、周りの百姓たちからは馬屋と呼ばれていた。

馬は市場でせりに出されると上納金が徴収された。しかし、この上納金は各種の手当金として、駒付役手当てや御目付け役人などの接待費なども差し引かれ、その残金さえほとんど生産者の手に戻らなかったのだった。